浄土真宗本願寺派(本山 西本願寺)
大阪教区天野南組(16‐01‐07)
恵日山(えにちざん) 真 光 寺
住職 釋 世雄(シャク セイユウ)
【俗名】木村 世雄(せいゆう)
599-8112 大阪府堺市東区
日置荘原寺町518
(ひきしょうはらでらまち)
電話 072-285-1146
FAX 072-220-2865
沿 革:
当地名である“日置荘(ひきしょう)”は、奈良時代、大和の日置氏の支配する「奈良 興福寺 の荘園」の名であり、古い歴史を有しています。
近隣の 萩原神社 蔵の『寺社御改帳』には、寛文8(1668)年からの真光寺歴代である圓海・春貞・・・祐山・潤泰の名が列挙されるも、明治初期の越間改蔵師を最後に、無住職寺院の日々が永く続きましたが、昭和17年に前住職であった木村忠雄師が入寺し、今日に至ります。
萩原神社はかつて【萩原寺】という寺院(中世では 神仏習合 であり近代以降のように、神社と寺院との明確な区別はあいまい)でもあった。
この【萩原寺】は 僧・行基(ぎょうき) 開創と伝えられ、幾多の事業を成し遂げた行基の徳をたたえて、大いなる聖者の開いた寺、すなわち「大聖寺」ともいわれていた様です。
“原寺町”の由来は、萩原神社にかつて行基菩薩開創の「萩原寺」という寺院がありまして、その略称です。萩原寺はやがて6ヶ寺ほどに分立し、それぞれが現存する寺院となり、そのひとつが真光寺ではないかと考えられますが、経緯が分からないのは残念です。
本堂は天明3(1783)年に大鳥郡下石津村・浄念寺より移築されたものを平成21年に大修復が施されました。大修復の指揮を振るったのは、薬師寺再建で天下に名を馳せる 西岡 常一棟梁 のお弟子である 宮村 樹棟梁 であり、奈良時代からの伝統の技が真光寺本堂に具現化されました。